有害な親戚はいない方が良い

人生相談を聞いていると

親戚は遺産を狙っている事がよくわかる。

 

しかも遠縁であったり、相続権がないにも関わらず

どうのこうの理由を付けて、いかに遺産を得るか虎視眈々と狙う。

 

そして、親戚は基本的に頼りない。

自分が困っている時に助けてくれたか。

親が介護になった時、まず逃げるのが親戚、兄弟。

 

遠くの親戚より、近くの他人。

 

困っている時に助けてくれず、遺産だけ狙われるのなら

親戚などいらない。

自己顕示欲の豚ども

自己顕示欲が肥大している奴は醜い!

醜い奴は誰からも愛されない。

醜い豚は愛せないが、同情くらいはできる。

それ以上はない。

 

自己顕示欲をこじらせてる奴らは皆醜い。

SNSだと手軽に心の内をひけらかせる為に、普段大人しい人が自慢や構ってチャンをしてると普段のギャップも相まって引く。

 

自己顕示欲は本来、仕事や作品などで表現するもの。

それを手軽なSNSツールが出来てしまったのだから、目も当てられない。

ただひたすら、ウザイ。

自分語りや自己アピールする奴は嫌われるよ。

さっさと気付け、豚ども。

SNSで感謝を言う奴ほど感謝しない

Facebookで「私は人に恵まれています。皆さんに感謝です!」「〇〇子に悩み相談したらこんなアドバイスもらった!感謝!」などと書いてる奴ほど、人に感謝しないし、恩知らずだから。

個人宛の感謝ならそれを直接本人に言えばいいだけの話。何故、SNSで発表をする必要があるのか。たかだか、一回会っただけの人も含めた数百人の前で!

要するに、みんなに愛されている私!を伝えたいのだ。

健全な精神をもっている、本当に人から愛されている人なら、わざわざ他人に伝える必要はない。自分の心の中にしまえばいい。

それができない。何故か。不安で仕方がないのだ。人に愛されてる実感や確かな信頼関係が無いから、その穴埋めを他人を利用して補完しようとしている。

Facebookで突然そんな投稿を見せられた方はたまったもんじゃない。ウザイ。事故に遭ったような気分だ。

実名と実際の顔写真付きでほぼ浅い関係の数百人の繋がりのネットの中で、悩みを長々と書くのも正気の沙汰ではない。かなりヤバイ精神状態なのではないだろうか。要するに、身近にそのような相談ができる親密な関係が無い事の表れ。正直、誰もお前の悩みなんて興味ないよ!

「皆さんのおかげで元気になりました。感謝!」とか書いてるヤツもウザイ。アイドルのつもりかよ!どーでもいいし、自意識過剰だよ!そんなに気にされたいのか、気持ち悪い。つか、その他大勢でまとめられたこちらの気持ち考えろよ。世界は自分中心の精神が出てるよ、そんなんだから人から距離置かれるんだよ、気付け、阿呆が。

 

感謝スピーチする奴ほど、人に感謝してないから。

実際、色々相談に乗ったり励ましたりしてたけど、感謝の気持ちもらったことない。

そういう恩知らずな奴に限ってSNSで感謝アピール。嘘つけ!身近な人間に一切の感謝もないのに馬鹿じゃないの?

 

「〇〇子に悩み相談したらこんなアドバイスもらった!感謝!」

なんて書くやつも嫌われる。

他に悩み相談乗った人は、自分も一生懸命考えてアドバイスしたのになーと、優劣をつけられた気持ちになる。もう次からは相談に乗らない、〇〇子に相談すればいい。

そんな気持ちになる。当たり前の話だ。なのに、そんな他人の心情には興味が無い、自己中心的な非情な人間である証拠だ。

 

感謝!アピールする奴は他人を尊重しない。利害関係でしか人間関係を築けない、だから、いつも孤独だ。

本当に普段から他人に感謝してる人は本人に直接言ってるし、わざわざSNSで言う必要がない。SNSで言うという事はその人にとって非日常的、特別なことなのだ。普段、人に感謝してないから、Facebookで書き留めておかなければ忘れるのだ。

要するに、Facebookで感謝スピーチする奴にロクなのはいない。付き合う必要無し!

 

SNSで不快な思いをさせてくるヤツは大抵決まっている。そういう奴らはリアルでも不快な思いをさせて来る事が多い。付き合うだけ不快指数が増えていくだけなのだ。

年を重ね毎にひどくなる傾向がある。さっさと縁切りをお勧めする。

相談上手

聞き上手というけど、相談上手もあると思う。

愚痴を延々と聞かされて、ドス黒いものをモロに喰らい気分が滅入るが

何とか相談者を少しでも楽にできないかと解決策を練って提案をする。

しかし、ことごとく否定と拒否をされる。

「もう自分はそれも考えたし、実行している」

と自分を否定されたかのような過剰な反応を示す。

自分はこれだけ考えていると論破をしたがるのだ。

疲れる。

 

相手にとって自分は愚痴のゴミ捨て箱のような存在らしく

何か嫌なことがあると会おうと言ってくる。

 

会っても、こちらの意見を全否定だから正直不快だ。

力になりたいが、そんなのこちらを攻撃してこない事が大前提だ。

甘えているんだろうが、愚痴をぶちまけて攻撃しても否定しても自分を愛してくれる人間がいると思っているんだろうか。

惚れられている場合は別だが、例え色恋でも限界がある。

美人だからモテるが、性格のひどさに次々と捨てられる女を知っている。

 

相手の気持ちを考える能力が欠如しているんだろう。

相談にも下手がある。

下手な相談は相手を二次被害に巻き込むだけの、ただの毒吐きである。

自分で解決しろ。

結婚できない女は色気が無いか、性格が悪い

三十路過ぎて結婚したいのに結婚できない。

彼氏もいない。

そんな女性の共通点がある。

”色気が無い” か ”性格が悪い” である。

 

ほぼ確実にどちらか当てはまる女性が、あなたの周りにもいるはずだ。

当の本人達は自分の事を客観的に見れないので

自分の要望を叶えた男性が、自分の事を見つけてくれるのを待っている。

 

婚期を逃した女性は、自分の事を勘違いしている。

世間の評価や実際より、自分の事をイイ女と思っている。

自己評価が高いのだ。

少女マンガが好きな女性はその傾向が高い。

現実が見れない、夢見る夢子ちゃんなのだ。

本人がそれで幸せならそれで良いが、結婚はできないだろう。

 

「うわ!きもい!」

そう思う男性が自分に釣り合っているレベルだとは夢にも思わない。

自分よりずっとレベルの上のイケメンに恋してしまう。

そしてフラれるか、遊ばれるかして終わる。

そうこうしているうちに、女として見られることもなくなって干物化していく。

更に性格が歪んでゆく。相乗効果で更に結婚が遠のく。恐怖である。

だから、婚期を逃している女性は冷静な客観的自己評価をしなければ詰む一方だ。

 

独身女の最も痛い勘違いは、体目当てなのに自分がモテると思っていること。

30代女性は結婚に焦っているから、体目当ての男性に狙われやすい。

それをモテると勘違いしてるのだから気の毒だ。

モテ自慢なんかしようものなら、周りはあまりの気の毒さに言葉を失う。

あまりに痛々しいと、周りは何も言ってくれなくなる。

 

そして、その精神の幼さゆえに同年代の友人は去っていくだろう。

同年代の友人は結婚して、出産して、マイホームを買って、子育てして・・・

と、どれも覚悟のいることであり、視野が変わる。

話が合わない以前に、いつまで経っても幼稚な昔の友人に構っている暇なんてないのだ。

 

客観的な自己評価が如何に大事か、結婚できない女性はいい加減気付くべきだ。

年々、女としての市場価値は下がる一方だ。早く気付け。

バカ女は遊ばれる

自分は三十路を超えた知人の「結婚したいけど相手がいない、彼氏ができない」理由を知っている。

 

一言で言えば、承認欲求をこじらせているわりには努力をしない他力本願である。

 

青年実業家と付き合っていると自慢してきた事があったが

付き合っていると思っていたのは彼女だけで、相手からしたらただの遊び相手の一人だったらしい。

痛い話だ。

 

話を聞いてみると、とても付き合っているとは思えない内容。

浮気相手のポジションか遊び相手だという事がわかる。

少しでも考えればわかることなのに馬鹿な女だ。

 

彼女からしてみたら、本当は家庭を持っているはずだったのに、周りに追い越されて自分だけ負け組の独身。

何とか見返してやれないものか。

そうだ、すごい人と付き合ってる自分!見返せる!!

 

実際、彼女の話からはその青年実業家がいかに社会的に成功しているかという話しか聞いていない。

自分の自慢話のタネでしかない。

そんな彼女の浅ましい心を見抜いて、相手もずるく利用したのだろう。

遊ばれたからって男が悪いとは言えない。

彼女も彼を利用しようとしたのだから。

 

自分の承認欲求を満たそうと他人を利用する奴は利用される。

ただ、それだけのことだ。

 

「あなたの為なのよ」と言う人

あなたの為なのよという人は信用ならない。

自分の親でもあってだ。

 

この言葉を言う人は見返りを求めている。

「あなたの為なのよ」この言葉の後に続く本音とは

・私に感謝してね

・私に何か返してね

・あなたをコントロールしたい

 

本当の優しさは相手に気付かれないようにするものだ。

相手に気付かれなくても、相手に優しくしたい。

それが無償の愛なのに

「あなたの為なのよ」という言葉で恩を着せたがっている。

あなたの為と言いつつ、結局は自分の為なのだ。

 

母と子供の関係でもよく使われる。

まともな母親なら、この言葉を使っても問題にならないが

毒親はこの言葉を使って子供をコントロールしようとする。

毒親にとっては、自分の意図を気付かれないようにできる都合の良い言葉。

 

この言葉を聞いたら要注意。

 

自分の親は「あなたの為なのよ」という言葉に加えて

「感謝しろ」

「有難いと思え」

この言葉のコンボだった。

 

子供の頃、これらの言葉聞いて育った人は

”自分はありのままでは愛されない”

”自分は愛されるに値する人間ではない”

”自分は特別な事をしなければ愛されない”

といった自己否定の精神で育つ。

こういった精神がベースにあるので

燃え尽き症候群やワーカーホリックになりがちになる。

 

子供は無償の愛を受けないとまともな精神に育たないのに

常に見返りを求める愛を注がれてしまっては

自分は愛されないと感じ、精神的に不安定になる。

見返りを求める親は、もともと誰も愛せない。

彼らも子供の頃の愛情飢餓があり、アダルトチルドレンなのだ。

精神が子供のまま大人になった人が子供を持つと地獄。

愛せないのだから、常に見返りを求めた行動をとり

いつまでも満たされない愛情飢餓を抱える。

このような親が毒親になり、子供が幸せになると

妬んで、その幸せを壊そうとしてしまう。

これは自分の中の子供が嫉妬しているからだ。

逆に、精神が成熟した人が子供を持つと幸せになる。

子供に無償の愛を注いで、その愛に自分も満たされる。

 

子供を持つべきではない親が子供を育てると

不幸の種が広がるだけだ。